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2)ノンフィクション アーカイブ

2008年02月06日

遥かな山やま

「遥かな山やま」 泉靖一 著

私はフィールドワーカーを愛し尊敬しています。

最初にその魅力に気付かせてくれた人は、元朝日新聞記者の本多勝行さんです。
もう40年も前の私が高校生のころ朝日新聞にカナダエスキモーのルポジュタールを連載されていて登校前に時間を気にしながら夢中になって読みました。
現地に滞在し、住人達の気持ちに溶け込みながら読者を未開の世界に導いてくれるレポートには嘘偽りがなく感動させられたものでした。
そのようなフィールドワーカーを愛し尊敬する気持ちはその今も変わりません。

さて「遥かな山やま」新潮社 は著者泉靖一(1915年~1970年)の学生時代の頃から1970年に55歳で急死される3ヶ月ほど前までの40年ぐらいの回想記であります。
彼のことは、「ペルーの遺跡発掘調査の基礎を築いた東大の学者」ということしか知らなかったのですが、この本をよみ、彼も根っからのフィールドワーカーであることを知りました。

ペルーの遺跡発掘調査は晩年の数年間であり、彼のフィールドワーカーとしての出発地点は朝鮮で京城帝国大学に入学しアルピニストに開眼するところから始まります。日本の時代の遍歴に合わせて彼のフィールドは移っていくのですがその時代は私達が知っているとおり大変過激であります。日中戦争。朝鮮の植民地の終焉に合わせて母校の大学も消滅。第2次世界大戦に突入。敗戦。大学紛争。と続いていくのですが、その時代時代に合わせて仕事の内容が変わるものの、彼のフィールドワークによって書かれる論文には未開途上国を愛する精神が根底にしっかりありとってもエキサイティングさせられるものでした。

私のネパールからの報告も、出来る限り現地のフィールドに立って現地の人々の息吹を感じさせる報告になればいいなといつも思っています。

2008年03月13日

キリストの棺

キリストの棺 シンハ・ヤコビッチ チャールズ・ベルグリーノ共著 発行:イースト・プレス
イエス・キリストが実在したことを実証したドキュメントである。
どのような方法で実証したかと言うとイエスの墓を探し出し中に葬られていた骨棺のDNA鑑定などして証明している。
イエスの墓にはイエスとヨゼフと二人のマリアとイエスの弟ヤコブという銘のある骨棺があった。
でもイエスもマリアもヨゼフもヤコブも全てありふれた名前で、それだけではそれがキリスト教で信じられている聖家族の墓なのかどうか疑問に思う人は多い。それを膨大な資料を積んでキリストの墓であることを実証しているのである。

私はカトリックの幼児洗礼を受けているのでイエスの存在を疑った事はない。
イエスが「神」なのかそれとも「ただの偉大な人」であったに過ぎないという意見があるであろうことは十分認識しているが、イエスの実在事態を信じない人がいることを知って驚いた。

このドキュメントで「さあ、これでイエスが実存していたことが証明された!」という感動を知らせようとしているのだけれど全くしらけてしまった。でもマグダラのマリアについてはカトリックでは重要視されていないので説得力ある検証を中々興味深く読むことが出来た。

多分イエスの墓は事実であろうと思う。しかし神あるいは聖人と信じられている方の墓を、実在の証のためにこのように不遠慮に墓を暴き得意がっていいものだろうか?

今年は3月23日がイエスが死んで3日目に復活した日を祝うイースターである。
イエスの復活は、肉体的な身体が天に昇っていったのではなく霊の身体であり、肉体(骨)の一部が発見されても聖書に述べられている受難と復活の事実に矛盾するものではなく「世界を震撼させた新発見の全貌」という興奮には全くついていけない本であった。

2008年08月09日

生きています,15歳。

生きています,15歳。 井上美由紀 著 POPLAR
井上美由紀さんは、頭は卵ぐらい指はつまよう枝位の手のひらにすっぽり納まるちっちゃな赤ちゃんで生まれました。500gという超未熟児で、未熟児網膜症に罹り全盲となりました。

全盲というハンディを背負い母親と二人三脚で15年。その生き様を「母の涙」という題で弁論大会で話し、全国盲学校弁論大会で優勝するまでに成長した道のりの手記です。

美由紀さんのハンディは全盲というだけではありません。美由紀さんがお母さんのお腹にいる時結婚の約束をしていた父親が突然交通事故死をし、そのショックで母親は早産して、彼女は未婚の母に育てられたのです。
父親の両親からも母親の親からも断絶され完全に二人ボッチの出発でした。

目が見える人ばかりで形成されているこの世界で、全盲の子が生きていかねばならないのです。
母親はこの現実を「尊い娘の命を授かった」という喜びと感謝で受け止め、娘がこの世界で自立していけるように、子供自らの努力と、距離をおいた手助けだけで、自立を身に付けさせるための子育てに徹するのでした。

傍の人からみると,又娘にとっても「鬼母か、、。」と思われながら娘を新しい挑戦に挑ませ、目的を一つ一つ達成させて娘に「自分でゲット出来た喜び」を味あわせてあげながら育てるのです。

例えば、自転車に乗れるようになるための特訓。立木や看板にぶつかったりして何度も何度も転んで血だらけになりながら自転車を起こしては頑張る娘に対し、母親はベンチに座って、「はやく起きなさい。ハンドルをちゃんと持って!」と叫ぶだけなのです。娘は「なんちゅう親か。それでも母親か」と悪態をつきながら30回ぐらい試すうち、<ふっとスイスイ風を切って走っている自分>に気がつくのです。
そして親子で泣きながら抱き合い、母は「美由紀。よく頑張ったね。なんでも根性やろ。やろうと思ったらできるやろ。」と誉めます。
一つづつ自分の力で、出来ないことが出来るようになったことの喜びを身に付けさせてあげることを繰り返します。

美由紀さんの逞しさには感動するばかりですが、どちらかと言うと母親の確固とした子育てにたいする考え、と情熱が娘をここにまで育てることが出来たんだろうと思います。

全盲ということは一つの特徴・個性であり、健常者と全く変わらない<一人の普通の人間>であることを母親はしっかり認識し、全盲であるために不自由なことは工夫しながらクリアー出来る方法を自分で見つけ出せるようにする手助けをすることに徹っせられた姿には感動しました。

私たちラリグランスクラブでサポートしているネパールの全盲のマドゥさん、ルパック君、シャルミナさんと付き合っていくときに忘れてはならないことをたくさん気付かせてくれた本でした。

2008年08月26日

生かされて

「生かされて」 イマキュレー・イリバギザ著 PHP出版 
1994年4月。ルワンダで起ったフツ族ツチ族という民族間の闘争が引き起こしたジェノサイド(大量殺戮)のことを、どれだけの人が知っているのでしょう。100日間で100万人が殺されたのです。それは私の記憶に新しい6000人が亡くなった阪神大震災の1年前という最近のことです。

この本はその壮絶な戦いから生還したイマキュレー・イリバギザさんの手記です。

地震や台風などの災害による犠牲者ではありません。人間による同じ人間に対する殺戮です。原爆のように一瞬で殺されるのでもありません。耳・鼻・手足・頭を大鉈で切られレイプされ殺されるのです。昨日まで友だちだった人、昨日まで信頼しあった兵士でもない普通の人が殺人者に早変わりするのです。
ツチ族のイマキュレーさんはフツ族に捕らわれて殺されて当然という状況の中で、その3ヶ月間、奇跡的に、小さなトイレに7人の女性が折り重なって匿われ、ぎりぎりのところで開放されて生き残ったのです。
彼女の両親兄弟は外国に留学していた兄一人を除き、顔見知りであった人々も交わるフツ族の人々に全員が惨い殺され方をします。

後日イマキュレーさんが現地を訪れた時、父を殺した首謀者がイマキュレーさんの前に引きずり出されました。彼はかって立派なフツ族の実業家で、イマキュレーさんの家族もよく知っていた人です。イマキュレーさんは悲しみで胸が潰れる思いにとらわれながら、ぼろぼろになってうずくまる殺人者の手に触れ、口に出た言葉は<<「許します」>>でした。

この本は“許し”の本です。
ブログ「私の本棚」で4月23日に取り上げた「白夜行」(親が理不尽な殺され方をした子供の復讐小説)の紹介文の中で私は「許し」という言葉に触れました。

「許し」というのは、戦いにおける最高の「切り札」だと私は思います。死んで生きるための切り札です。
死んだら終わりという無宗教者や無神論者にとっては「許し」は負けになるのかもしれません。

カトリック教徒の私にとってはインパクトのある感動の書でした。
私の信仰心の薄さを、しっかり自覚させられましたが。

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