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3)随筆 アーカイブ

2008年02月25日

いのちの優しさ

「いのちの優しさ」高史明著 筑摩書房
高史明氏は1932年生まれの在日朝鮮人2世で貧困と差別の他さまざまな困難の中を生きてこられた作家です。
1975年の愛息の自死には大きな衝撃をうけられ作家活動と平行して多くの中・高等学校で「いのちの尊さ」についての講演をされています。
この本は学校での講演をまとめたものです。

今回この本を再読しこの本で書かれている「知識という名の落とし穴」についてもう一度深く思い知らされました。
<知識の偏重は自己中心主義に偏っていき私利私欲に陥る危険がある。>という警告です。<知識がいのちを軽んじる。>ということです。

私達はネパールの教育の在り方を垣間見てきた結果、高校卒業試験SLCを高得点でPassすることがネパールの貧しい子供達に残された最善であり最短の道であることを確信しました。
そのため貧しい子供達へのスカラシップ制度を作り子供達を見守って2年になりました。
これら奨学生の学力を育てていく時に絶対に忘れてはならない事は、「SLC合格というのは真っ当な人間として生きていく(自他の命を大切にする)ための単なる方便である」ということです。
そのことをを学力と同時にしっかり育てなければならないと教えられました。

2008年05月16日

誇りを持って戦争から逃げろ!

「誇りを持って戦争から逃げろ!」 中山治著 ちくま新書
近未来には戦争に巻き込まれるだろう日本について真剣に考えさせられた本でした。

報道で知らされる世界情勢を見聞きするたび、又、ネパールから戻るたび、「日本は平和でいいわ~!」といつも思ってきました。
それは日本国憲法9条の戦争放棄の取り決めがあるからこそ今の平和があるということがこの本を読んでよく分かりました。
そのことは私も絶対その通りだと思うし断固改正には反対の立場です。
しかし著者も言っておられるように「断固として改正反対!」と叫んでも愚かな政治家によって恐らく憲法は近未来に改正されると私も思います。そして日本はアメリカに利用されて戦争に巻き込まれ多くの若者が他国で傭兵として戦わされアメリカのために命を落とすでしょう。

では「戦争に荷担するのはいやだ」と思っている者はどうすればいいのか?
著者は<逃げること>だけが我々に残されている最善の誇り高き解決策だと述べておられます。
「サウンド オブ ミュージック」のトラップ一家のようにとおっしゃいますが、そんなん無理ですわ。
日本は島国だし、、。

じりじりと政治的にも経済的にも非常に危険な時代を迎えるのは誰の目から見ても明らかです。
息子達には権力者にいいように利用されることなく、この時代を生きぬいてもらわないと心配なので、読ませなくちゃと思い2冊取り寄せました。

日本中の人々に読んでもらいたいと思った本でした。

2008年06月26日

走ることについて語るときに僕のかたること

「走ることについて語るときに僕のかたること」村上春樹著 文芸春秋社
村上春樹氏の作風から天才的(物語が身体から湧き出るように出るのを文章にまとめていく)作家かと思っていたのだけれど、彼のエッセイなどを読むと小説家という職業人であるらしいことが分かってきた。

彼が小説家になろうと決心された時からずっとマラソンを続けてこられたとはこの本を読むまで知らなかった。
この本は<小説を書く>という頭をハードに使う仕事の癒しのためにマラソンを続けてこられた記録である。

疲れを癒すには、身体をリラックスさせて休息するのが一番と思っていたが、仕事と違うジャンルのものに没頭することも疲れをとる手段なんだと納得させられた。

マラソンのようなハードな趣味に没頭させるほど小説を書くことは彼にとってハードな仕事なのだとも思わされて妙に感心させられてしまった本でした。


2008年08月19日

晩年

「晩年」 立松和平 著 人文書院
この本は、著者の周りをとりまく人達が迎えた彼岸への旅日記の短編集です。

8月16日孫達ゲストを送り出して、読書の時間をやっと取り戻し、私が紐解いた個所が題名<盂蘭盆>でした。
キリスト教者の私は、この歳になるまで故郷京都の五山の送り火を、意味も深く考えぬまま綺麗だなあと見ていたのでしたが、なんてもったいないことをしていたのかと思いました。

仏教の教えでは、人は死ぬと、この世である此岸(しがん)からあの世である彼岸(ひがん)に旅をする。といいます。
彼岸は阿弥陀如来の極楽浄土で十万億土の彼方にあるらしい。彼岸に旅立つ準備期間が49日であるらしい。

8月13日に、普段は彼岸に住んでいる亡くなった縁者が、極楽浄土から娑婆世界までの十万億の仏国土を超えて、この世にやってくる。
まだこの世にいる人はお墓に行って霊を迎え家の仏壇に導く。霊は3泊3日迎えてくれる家に留まり,又帰っていく。のだそうです。

人は死んでも極楽はなんせ遠いものだから、すっと行けるのでなくこの世で悪いことをした人は道中途中で往生出来ず苦しむ。その悪を払うのは本人、否、本霊では出来ず、この世にいる人が救ってあげなければならない。のだそうです。
先祖の霊が無事に極楽浄土に行き着いているかどうか?
仏教の本ではないので、そこまでは詳しく書かれていない。

そういえば、カトリックでも死ぬとまっすぐ天国に行くのではなく煉獄で試練を受けなければならないとも教えられていますわ。

<<・・・さんは死んだ。・・・さんは認知症になったと、私が顔を知っている近所の人について母は語っていた。普段母は一人暮らしをしているためか、おしゃべりをすると止まらない。私は黙って聞き、時々相槌を打つ。一人ずつ順番に、確実に欠けていくのがわかる。家を出ると、遠くにいってしまって帰れなくなる奥さんの話を、母はしている。世間ではその人を認知症による徘徊老人というのだが、今まさに十万億土の浄土に向かおうとしている希望に満ちた人のようにさえ思えた。>> (本文より)

著者はこの本で、<<時の流れとともに、人々は列をなして冥土へと向かう。もちろんその列に私もいつかは加わるのであるが、この世に在る間は、一人一人を惜別の念とともにていねいに見送りたいと願い、この短編集を書き始めた。>>と言っている。

この本をよんで、仏壇も持たない私は、これまでに見送った人々のことをしみじみ懐かしく思い出したのですが、送り出したあの人たちは天国から私を見守ってくれていると安心して信じていたけれど、ひょっとしてまだ煉獄にいるかもしれないと慌てて祈ったことでした。

お盆を迎えていたので、この項目を選びましたが、あとの28編は、死んでいった父親や友人の生涯を愛情深く丁寧に書かれた感動の書でした。

2008年09月03日

田口ランディのコラム集

「もう消費すら快楽じゃない彼女へ」田口ランディ著 幻冬舎文庫
このコラム集は<Ⅰもう消費すら快楽じゃない彼女へ Ⅱ生きるためのジレンマ Ⅲ世界は2つある>という3つのジャンルに分けて、それぞれ8~10編からなるコラム集です。

ランディさんは、今のようにブログが大流行になるずっとずっと前から、ネットで私信を発信し、有名になった名コラムニストです。
とても文章が読みやすく、短い発信のなかにでも、とっても深い思いが潜んでいてとてもひきつけられます。

今回はそのなかで、<Ⅲ世界は2つある>の中に収められた「夜明け」を紹介したいです。

著者には、生まれながら盲目の友人がいました。<>内は原文。
<・・彼は本当にプロの盲だったよ。彼の生活は完璧で、美しかった。何一つ欠損を感じさせなかった。その物腰も、話し方も、明晰でセンスのよい青年そのもので、その動きは計算されていて、隙がなく、生きていることの緊張感に溢れていた。・・>
ある日、偉い先生から見える可能性があるから手術を勧められる。周りの者はそれが良い事だと喜び、こぞって手術を薦め、彼は迷いながら決心し手術を受けて見えるようになる。
ところが彼にとって現実の見える世界は、予想に反して醜悪で苦痛でしかなかったという。
彼は<完璧な盲人だったのに、今では不完全な健常者になった。>のである。
彼は毎日、イライラしながら過ごしていたが、夜になると暗闇の中で、ホッとするのであった。
ある夜、一晩中、堤防に座って海の音を聞いていたら、暗闇の中から、世界が少しずつ光を帯びていくのがわかった。
彼は、はじめて見えなかった時のように、心に安らぎを感じ、「ああ、見えるということは、これか。これでいいんだ」と思い始める。
<夜明けは彼の人生の象徴だ。闇に光が差す。>
彼にとって手術したことが幸せだったのか不幸だったのか分からないけれど、夜明けの光のなかに希望を見つけるにちがいないと著者は信じている。

8月9日の、私の本棚で紹介した、「生きています、15歳」の、500グラムで産まれて、未熟児網膜症で盲目になった美由紀ちゃんの話で触れたように、盲目は欠陥ではない。個性なのだから、わざわざ個性をつぶして、目が見えるように無理にするのは、必ずしも最善の道とは限らない、ということを又思いだしました。

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